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浦和地方裁判所 平成5年(む)B210号 決定

主文

本件異議の申立てを棄却する。

理由

一  本件異議の申立ての趣旨及び理由は、申立人代理人作成の異議申立書及び異議申立理由書記載のとおりであるから、これを引用する。

二  当裁判所の判断

1  記録によれば、申立人は、平成五年六月一一日浦和地方裁判所において、出入国管理及び難民認定法違反被告事件について、懲役一年六月、四年間執行猶予、訴訟費用(全額通訳費用である。)負担の裁判を受け、右判決は、平成五年六月二六日確定し、平成五年一一月一日付けをもって、申立人に対し、浦和地方検察庁検察事務官岡弘名義で、訴訟費用金一五万九八五〇円の納付告知書が送付されたことが認められる。

2  ところで、申立人が本件申立ての理由とするところは、右訴訟費用負担の裁判及びその執行は、「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(昭和五四年条約七号)一四条三項(f)に違反するというにあるが、つまるところは、訴訟費用の負担という裁判の違法を主張するものである。

しかし、刑事訴訟法五〇二条の裁判の執行に関する異議の申立てにおいて、裁判の違法を主張することは許されないから、本件申立ては不適法である。

3  なお、前記「市民的及び政治的権利に関する国際規約」一四条三項柱書は、「すべての者は、その刑事上の罪の決定について、十分平等に、少なくとも次の保障を受ける権利を有する。」と規定し、その(d)には、「自ら出席して裁判を受け及び、直接に又は自ら選任する弁護人を通じて、防御すること。弁護人がいない場合には、弁護人を持つ権利を告げられること。司法の利益のために必要な場合には、十分な支払手段を有しないときは自らその費用を負担することなく、弁護人を付されること。」とあり、その(f)には、「裁判所において使用される言語を理解すること又は話すことができない場合には、無料で通訳の援助を受けること。」とあるところ、申立人代理人は、右(f)は、無条件かつ絶対の保障であり、資力の有無を問わず、かつ、最終的にも、被告人に通訳費用を負担させない趣旨であると主張する(おそらく、(d)との対比による主張であると思われる。)。

しかし、右一四条三項は、同項柱書にあるとおり、刑事上の罪の「決定」に当たっての権利であり、右(f)は、刑事上の罪の決定に当たり、通訳人を付す場合には、「無料で」、すなわち、公費で、付すことを規定したもので、「決定」確定後の段階において、その通訳料を被告人に負担させない趣旨までを含むものではないと解するのが相当である(なお、「児童の権利に関する条約」(平成六年条約二号)四〇条二項(b)の(ⅵ)参照)。

三  以上のとおり、本件申立ては不適法であるからこれを棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判官肥留間健一)

異議申立書

Aに対し、平成五年一一月一日付浦和地方検察庁区検察庁検察事務官岡弘名義をもってなされた納付告知処分に関し、左記理由により、刑事訴訟法第五〇二条に基づき異議を申し立てる。

一九九三年(平成五年)一一月一一日

東京都新宿区本塩町14番地ハイムM一階

弁護人 矢澤昌司

浦和地方裁判所刑事部 御中

Aは、出入国管理及び難民認定法違反被告事件につき、一九九三年六月一一日、貴裁判所において判決を受けたものである(平成四年(わ)第八一二号)。

このほど、右Aに対し、平成五年一一月一日付浦和地方検察庁区検察庁検察事務官岡弘名義の納付告知書が送付された。

右告知書は、前記裁判の訴訟費用(その内容は通訳費用)の納付を求めるものであるが、これは市民的及び政治的権利に関する国際規約一四条三項(f)等に違反する違法な処分であるので、刑事訴訟法第五〇二条に基づいて異議を申し立てるものである。

なお、おって、異議申立理由書をもって、詳細な理由を主張する。

平成五年(むB)第二一〇号

異議申立理由書

被告人 A

頭書異議申立事件について、以下のとおり異議の理由を補充する。

一九九四年(平成六年)三月三〇日

弁護人 大貫憲介

同 矢澤昌司

浦和地方裁判所第二刑事部 御中

一 事実関係

1 原裁判

被告人は、貴裁判所において、一九九三年(平成五年)六月一一日、出入国管理及び難民認定法違反被告事件につき、有罪の判決を受け(平成四年(わ)第八一二号、以下「原裁判」という)、右判決においては、訴訟費用を被告人に負担させる旨、宣告された。

右訴訟費用の内容は、その全額が、公判廷における通訳費用である。

2 裁判の執行

右裁判の執行として、平成五年一一月一日付をもって、被告人に対し、浦和地方検察庁区検察庁検察事務官岡弘名義の納付告知書が送付された。

二 本件通訳費用負担の裁判およびその執行は国際人権規約に違反する

1 国際人権規約の定め

市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「B規約」という)第一四条第三項本文は「すべての者は、その刑事上の罪の決定について、十分平等に、少なくとも次の保障を受ける権利を有する。」とし、同項(f)は「裁判所において使用される言語を理解すること又は話すことができない場合には、無料で通訳の援助を受けること。」と定めている。

右条項は、無料で通訳の援助を受ける権利を、留保なく、しかも最低限度の権利として保障したものである。

2 国際人権規約の効力

B規約は、わが国においても批准され、現に効力を有している。前記条項は、いわゆる自力執行力を持つ条項であり、したがって国内法的効力を有している。この条項に抵触する法令および政府の行為は、B規約ひいては条約遵守を定める憲法第九八条第二項に違反し、その限度で無効である。

刑事訴訟法第一八一条第一項および刑事訴訟費用等に関する法律第二条第二号は、B規約第一四条第三項(f)で保障された、「無料で通訳の援助を受ける権利」を侵害する限度で条約違反・違憲であり、無効である。

3 本件裁判およびその執行は違法である。

本件訴訟費用負担の裁判およびその執行は、一で述べたように、被告人に本件通訳費用を負担させるためのものであり、B規約第一四条第三項(f)の解釈を誤って、刑事訴訟法第一八一条第一項本文および刑事訴訟費用等に関する法律第二条第二号を適用したものであって、条約違反・違憲である。

三 政府解釈は判例により既に排斥されている

1 政府解釈の不当性

わが国がB規約を批准するに先立って、刑事訴訟法第一八一条第一項本文および刑事訴訟費用等に関する法律第二条第二号の改正を要することは、既に指摘されていた(吉川経夫「国際人権規約と刑事法」・資料1)。

しかるに政府は右改正を行なわず、逆に「被告人が判決において有罪の言渡しを受けた場合には、被告人に通訳費用の負担を命ずることができる。」との趣旨に、B規約を曲解してきたものと推測される。

しかしこのような解釈は、文言上もB規約を曲解したものであり、また実質的にも「無料の援助」の保障を「立替払の援助」の保障におとしめてしまうものであって、到底成り立ちがたい解釈と言わねばならない。

2 わが国裁判所の判例

すでにわが国裁判所でも、B規約第一四条第三項(f)に規定する「無料で通訳の援助を受けること」の保障は無条件かつ絶対のものであって、裁判の結果被告人が有罪とされ、刑の言渡しを受けた場合であっても、通訳費用の負担を命ずることはできないとの判断が示され、政府解釈は排斥されている(東京高裁平成五年二月三日判決・資料2)。

3 ヨーロッパ人権裁判所の判例

ヨーロッパ諸国において効力を有している欧州人権保護条約第六条第三項(e)には、B規約第一四条第三項(f)と同じ規定がある。ドイツ連邦共和国(当時)において、わが国政府解釈と同様の解釈がなされ、通訳費用の負担が命じられたところから、条約違反として、条約上の機関であるヨーロッパ人権裁判所に申立てがなされた事件が存在する(ルーディツク、ベルカセムおよびコス事件一九七八年一一月二八日判決・資料3の1および2)。

右判決においても、裁判所は、有罪判決宣告によっても通訳費用の負担をさせることはできないと判断している。その理由は、字義上、無条件の免除としか解しえないこと、有罪判決宣告において通訳費用の負担を命じうるとすれば、有罪とされた被告人には本条項の保障が及ばないこととなり、裁判所で用いられる言語に通じている被告人と比較して不利益がもたらされること等である。

4 本件原裁判およびその執行は違法である

以上のように、「無料で通訳の援助を受ける権利」が無条件かつ絶対の保障であることは、国際的にも確立しているが、本件原裁判は、B規約第一四条第三項(f)はもとより前記判例・学説に留意せず、右条項に明白に違反して通訳費用の負担を命じたものである。検察官としては、非常上告を考慮することも考えられる判決であったにもかかわらず、本件執行を行なったものである。

四 本件不服申立て手続きは適法である

1 上訴による不服申立て

現行法上は、訴訟費用負担の裁判に対しては、本案の裁判について上訴があった場合しか上訴できず(刑訴法第一八五条第二文)、しかも判例上、上訴審において訴訟費用の裁判を是正すべき場合は、本案についての上訴が適法かつ理由がある場合でなければならないとされている。仮に、刑訴法第一八五条第二文が、訴訟費用の裁判の効力を争うことを、憲法違反の主張をも含めて一切封じる規定だとすれば、それは憲法第八一条違反であるから、何らかの方法での不服申立ては認められなければならない。

2 違法な原裁判の執行の違法性

刑事訴訟法第五〇二条の異議申立は、違法な執行処分に対する不服申立て手段である。しかし、前述のとおり、原裁判のうち訴訟費用負担の部分に対しては独立して上訴できず、また、債務不存在確認請求、請求異議等の民事上の手段によることもできないとすれば、被告人が不服申立てをなしうるのは、執行処分を待って、その違法性を争うほかない。

原裁判が違法なものであれば、その執行もまた違法性を継承することは明らかである。ちなみに、刑事訴訟法第四三〇条による捜査機関の処分に対する準抗告においても、差押の要件・必要性について判断しうるのであり、実質的には押収に関する裁判の違法性についての判断がなされている。

したがって、本件異議申立ては適法である。

五 以上の理由によって、本件執行処分は違法なものであり、取り消されなければならない。

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